子森新聞 リレーエッセイ 2010年秋号より
子森ネットでは、定期的に子森新聞を発行しています。
新聞の最後には、リレーエッセイとして、いろんな方々からメッセージを頂いておりますので、ご紹介します。
「保育における東洋的自然感」
(社)大谷保育協会常務理事
大野幼稚園 藤 兼量
昨今様々な場面で、「地球温暖化」や「エコロジー」といった言葉が盛んに使われ、自然環境の問題を耳にする機会が増えました。このことは一見大切なことのように思われますが、少し整理して考えて見る必要が有るのではないのでしょうか?
西洋の思想では、「人間」と「自然」を厳然と区別して考えます。nature(自然)は神によって人間の為に用意されたものとしてあり、人間は nature の法則を正しく知って、その法則に反しないようにしてnatureを利用するならば、正しい幸福が得られる。そのような人間の営みを、culture とされています。つまり、 nature は culture の為に在り、culture は nature によって成り立つという思想です。
近代になって、東洋も西洋思想の影響を受け、日本では nature のことを「自然」、culture のことを「文化」と翻訳されてきました。新幼稚園教育要領の「環境」領域には、そのねらいとして見近な環境に親しみ、自然と触れ合う中で様々な事象に興味や関心をもつ
と表されております。亦、保育所保育指針には保育の目標として、生命、自然および社会の事象についての興味や関心を育て、とありますが、これらの場合の「自然」という概念は西洋思想に基づくものと考えられます。
従って幼稚園教育要領も保育所保育指針も、幼児に自然を観察させ、その法則を理解させて、人間が作り上げて来た文化に参加することの意義を理解させるようになっています。 ただ、幼児は知情不分離の心理状態であることから保育現場では、情緒的に理解させるような方法が多く用いられています。
ところで、東洋には古来の「自然思想」があり自然科学の対象の自然のみではなく「なるようになってゆく」ことも自然と言って来ました。日本ではそれを「ジネン」と言い習わしています。 「なるようになってゆく」ことは人間の生理的な営みも文化的な営みも全てを総合して包み込む作用を表しています。
多くの保育現場で、「自然」を扱う時に科学的に理解をさせるよりは、情緒的に理解させようとする傾向があるのは、この東洋的「自然思想」の影響かもしれません。
私たちの「子どもの森づくり運動」に於いても、「なるようになってゆく」という東洋的自然感が大変重要だと考えます。人間が自然を利用するのでは無く、私も自然の作用によって成り立つ存在として「なるようになってゆくのだ」と。 どれだけ、どんぐりを植えても徒労に終わる覚悟が必要だと思います。その覚悟無くして続ければ、我々が幼児と共に工夫してドングリを育て植樹することが、あたかも素晴らしいことであるという大きな自惚れに埋没する危険性を感じます。